老いの苦しみ
先日、息子の小学校の持久走大会がありました。
小さな1年生がよーいスタートの合図でわーっと一斉に走る姿は可愛らしく
みんなゴールした後、だいぶ離れされて1人で走る最後の子は
観客の親たち全員から拍手と応援で後押しされて
みんなでよく頑張ったね、ってじんわり感動するやつ。
寒空の下、半袖短パン。
厚着して見ているこっちが寒いぞ。
風の子強いな、と思った火の子たち(大人たち)なのでした。
全っ然、走れない
持久走大会の2ヶ月くらい前から
息子は練習のために学校から家まで走って帰ると言いだしたので
私は重たいランドセルなどの荷物を自転車に積んで
監督のごとく並走してたんです。
そしたら、おぉ、思ったより速い!
なんとも身軽〜に、楽〜に走ってるっていうか、
走ること自体がすごく楽しそうで。
もう、いくらでも無限に走れるぜ!子どもってそんな感じですよね。
そんな息子を見ていたらなんか自分も走りたくなっちゃって
日曜日の朝、一緒に走ってみようと思ったんですね。
結論から先に言うと
これがもうびっくりするくらい、全っ然走れない!
体は重いわ、足は動かないわ、息があがって内臓のあちこち痛いわ。
う、うそでしょう…
っていうくらい走れなかった。。。
子どもの頃は運動できる子、いつも外で遊ぶ子で
田舎のおばあちゃんに
「ゆりちゃんはいっつも、飛んで歩いてる子だわ」ってよく言われてた。
新潟のしかも田舎の方言なんですか?
飛んで歩く = 走り回る
母と「いやいや飛んで歩くっておもしろすぎないか
飛んでも歩いてもない、走ってるだけなのにね」と
爆笑した記憶があります。
とにかく飛んで歩くのが、人よりちょっと得意で好きな子でした。
まだあの頃のように走れるっていう思い込み。
だって一体何年たっだんだ。
いやいや、一応、大人になっても運動してきてる方だという
独りよがりの自負があるのに…
思い込みだけ完全に時が止まっていた私。
その間に、身体はしっかり歳を重ねていた。
できると思っていたことがあまりにもできないということは
一種の恐怖すら覚えるものです。
老いた… 完全に老いたよ、私!
本当の財産
人間誰しも、死にむかって毎日1歩ずつ前進しているわけですが
なるべく死ぬ直前まで、病気になったり、老いを感じたくないと願いますよね。
実年齢、つまり数字の上の年齢と
その人の肉体の年齢というのは
生き方で確実に違いが出ていくという事実。
20代・30代だって、老人並みの肉体(思考も)の人もいるし
70代・80代でも、若者よりずっとパワフルで疲れない人もいる。
私の周りにもいるんです。
もうなんでそんなに元気なの?っていう
お手本のような60代が。
綺麗な服より、ピカピカなネイルより、ブランドバックより
私は筋肉とエネルギー、そしてクリアな脳みそが欲しい。
全部、お金では買えないもの。
自分で育てていくことしかできないもの。
それって本物の財産だと思うんです。
Muscles are an asset.
(筋肉は財産だ)
Muscles will never btray you.
(筋肉は裏切らない)
育てましょう、筋肉。
本日も、お読みいただきありがとうございました。